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連載小説 恋はお初天神から

「グッバイアゲイン」

作者:日頭真子(ひがしら ちかこ)

<第5話>アプローチ

「New Arrival」の看板が出たコーナーで新作のワンピースを長い時間かけて物色している女性客を相手にしながら、奈々子はお初天神で会った青年のことを思い浮かべた。
(聡が生きていたら、きっとあんな感じなんだろうか)かつての聡の面影を勝手にその青年に重ねていた。
 奈々子は、「なんであのときもっと色々話しなかったんだろう……せめて名前とか……ま、あの状況じゃね」とため息まじりにひとりごちた。
 
そんなとき、前方からひとりの男が歩いてきた。(予感的中か……ったくもう)
香山雄一だ。
「まいど、こんにちわー」
 香山はいつもこんな現れ方をする。すがすがしい営業スマイルで、どの得意先でも好かれているらしい。しかし彼が奈々子に向けるのは営業スマイルではなく、心の底からわきあがるうれしさがいっぱいに広がった笑顔だ。
 ワンピースを選んでいた女性が結局何も買わずに去って行き、客がいなくなってしまったため、接客で忙しいふりもできず、奈々子は香山の相手をするはめになった。
「今日は事業部との打ち合わせ、ないって聞きましたけど?」
「あはは。そうなんですけどね。近くに用事があったから寄ってみました」
「忙しいんですか」。話題がないときの常套句だ。
「ええ、ぼちぼちね。昨日も休日出勤で。もうクタクタですよ。でも内山さんの顔見たら疲れふっとんでしまいました。あ、こんなこと言うたらまた嫌がられるなあ」
 香山はアパレルを専門とする大手商社に勤める営業マンだ。その商社の展開規模や知名度を考えれば、かなりのエリートといえるだろう。
 年齢までは奈々子の知るところではないが、27、8歳といったところか。当然のことながらファッションセンスも良い。いつも黒や濃紺のスーツにブルーやダーク系のシャツを合わせ、明るめのブロックストライプタイできりりとした印象を醸し出している。さらに細身でフィットするスーツのデザインが、ジムで鍛えているらしい引き締まった体型を際立たせている。
 3ヵ月ほど前、香山がH百貨店の担当になったばかりのとき、事業部の社員とともに奈々子の売り場に顔を出したのがきっかけで知り合った。それ以来、香山は「ちょうど打ち合わせがありまして」「ちょっと外回りで近くまで来たんで」などと用事にかこつけてしばしば奈々子に会いに来るようになった。今日のように他愛ない会話をしばらく交わすこともあれば、奈々子が接客中で会釈だけして帰ることもある。
 映画や食事に誘われたことも何度かあるが、奈々子は何かと理由をつけて断り続けていた。香山は人当たりがソフトで押し付けがましいところがなく、話も面白い。そういった人柄やセンスの良さには奈々子も好感を持っているし悪い気はしないのだが、どうしても乗り気になることができなかった。
「つれないですねえ、たまにはこの可哀想な俺のためにお茶くらい付き合ってくれてもエエやないですかあ。俺、エエ店いっぱい知ってるんですよ」と、おどけた調子ではあるが、基本的に香山の態度はいつも紳士的だ。決してねちねちとまとわりつかず、奈々子がやんわり断ろうとするとすっと引き下がる。
 
「この前ツレと飲みに行ったとき、おもろい店見つけたんですよ。和風のイタめしバー。中央郵便局の近くで、高架下なんですけど意外に落ち着けて、超穴場だと思います。ちょっと行ってみません? 俺おごりますから」
 今日の誘い方は少し気合が入っているな、と奈々子は思った。用事のついでに、というのは事実だろうが、やはり彼女をデートに誘うためにやって来たのだろう。
「だから私、お酒飲めないんですってば。他のコ誘ったほうが絶対楽しいですよ」
「またそんな冷たい言い訳を。そやからってランチ誘っても来てくれへんやないですか」
「言われてみればそうですね」
「『そうですね』て!ひどいわあ……あ、電話が。……ついてない、会社から呼び出しです。また懲りずに来ますから、覚悟しといてくださいよ」
 香山は残念そうに、しかし最後までさわやかな笑みは絶やさず、立ち去った。
 
「奈々子~。相変わらずもったいないことしてるなあ」
 背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「あんなにモテモテの香山さん袖にするやなんて、バチ当たるで!」
 振り返ると、同僚の森河礼が立っていた。
「ただでさえ、香山さん狙ってるコ多いのに、どんだけぜいたくなんよ」
 礼は奈々子と同期入社で、食品売り場で勤務している。遊びに行ったり、連れ立って買い物や食事に行ったり、悩みを相談しあったりと、同僚の中では最も親しく、心を開いて話せる貴重な友人である。
 ぽっちゃりとした丸い体型が彼女の人柄の良さを表している。奈々子ら同期の配属が決まったとき、礼は「あたしこんな体型やから食いしん坊と思われて食品売り場になったんやわ、絶対」と心外そうに話したものだが、彼女は本当に食いしん坊だったので、奈々子はそれが礼の天職なのではないかとひそかに思っている。
 礼は自分の休憩時間に、奈々子の婦人服売り場が暇な時間帯を見計らっては、こんなふうによくだべりに来た。
「何こっそり聞いてるの。うーん、香山さん素敵だとは思うんだけど何かこう……ね」
「ふーん、やっぱりあれ? 昔の彼の思い出がジャマしてるん?」
「たぶんね……」
 礼は、奈々子が大阪に来てから聡について話したことのある唯一の人物だ。
【つづく】