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連載小説 恋はお初天神から

「グッバイアゲイン」

作者:日頭真子(ひがしら ちかこ)

<第11話>埋もれていた記憶

第11話 埋もれていた記憶

 新一郎が心臓移植を受けたという事実は、「新一郎と聡のつながり」を示す新たな可能性として奈々子の思考の中に踏み込んできた。それも、ただわけもなく感じていた今までの非現実的“妄想”ではなく、より現実性を持ったものとして。
 もしかすると、もしかすると……新一郎は、聡から……心臓を提供されたのではないか――!
「なあ、何か仰天するようなことでも書いてあったん? 急にフリーズしたかと思たら、般若みたいな顔になって……」と礼は眉をひそめて言った。
 奈々子は手にした雑誌誌面の当該箇所を指差しながら、真剣な面持ちで自分の考えを礼に説明した。
 
「……そらまた、すごい仮説やなあ……。今までの中ではいちばん現実的やけど」
「今は頭ん中しっかりしてるよ。いたって冷静に考えたことだから」
「その仮説が正しかったとしてやで、だからって移植された人が提供した人に、ドナーとかいうんやったっけ、そのドナーに、似るんかいな? どうしてもここで飛躍してまうな、奈々子の考えっちゅうのは」
 礼は至極当然の疑問を呈した。
「ドナーか。そうそう、ドナーっていうんだよね、臓器提供者のこと」
 そこで奈々子はハッとした。不意に耳にした「ドナー」という言葉で、過去のある記憶が急に呼び覚まされた。それはかつて、聡と交わした何気ない会話の中のほんの断片だった。

 奈々子は前日観たドラマのことを聡に話していた。
「あ、ところでさ、『ノウシ』とかいう言葉が出てきたんだけど、何のことかな?」
「脳死? 脳が機能停止したら、体の他の機能が活動していても死んじゃったことにするんだよ」
「えーっ? それって心臓が動いていても?」
「もちろん。西洋文化では当たり前の考え方なんだけど、日本人は魂が身体そのものに宿っていると考えるから、心臓が動いてるのに死んだとみなすのは気持ち的に受け入れられないんだけどね。ナナは脳死が人の死って、なかなか受け入れないタイプでしょ」
「確かに認めがたいかも……。聡は違うの?」
「僕は、魂と身体は別物だと思ってる。僕自身の思考や心は脳にあるって考えてるから。仮にどうしてって聞かれても、そういう価値観だからとしか答えようがないよ。それに、脳死を人の死とすることで、臓器を他の人にあげることができて、人助けまでできるでしょ」
「やだあ。だって、まだ動いてるものを取っちゃうなんて可哀相じゃん」
「だから死んでるんだってば。脳が停止したらもう二度と生き返ることはないの。もう体のどこにも魂はないんだよ。もし僕が脳死状態になったら、心臓でも何でも、病気で苦しんでいる人にもらってほしいから、その意思を示すためにドナー登録もしてあるんだ」
「理屈はわかるかな。でも気持ち的には……あたしは無理かも知れないなあ……」
「体に魂があるっていう観念を尊重するのは自由だよ。僕の価値観が正しいわけじゃないし、ナナはナナの価値観を大事にすればいいんだよ」
 
 この会話をなぜ今の今まで忘れていたのか奈々子は不思議に思った。奈々子にとってはたわいない話題だったのかも知れない。
 奈々子は、聡が事故死したときのことをできるだけ詳しく思い出してみようと思った。
 
 コンクール当日、結果は聡が電話で知らせてくれることになっており、奈々子はそれを帰省先の北海道で今か今かと待ちわびていた。しかし夜中近くにやっとかかってきた電話の主は、聡ではなくその母親であった。
 物言わぬ聡と対面したのは通夜の場だった。
 あのとき奈々子が帰京するまでの間に、病院で聡の臓器移植に関する何らかのやりとりがあったのだろうか? 奈々子は記憶をたどってみるが聡の家族からそのようなようすは見受けられなかったように思えた。というより、聡の死が信じられずにただ泣いてばかりいた記憶しかないのだった。
 
 奈々子はあることを心に決め、しっかり礼を見据えながら言った。
「礼、やっぱりそうなんだと思う。誰がどう言おうと、西島さんのドナーは聡だよ。たとえ真実がどうであっても、あたし自信がそう信じられればいいの。あたし……あたし、それが確信できさえすれば、聡の幻をふっきれそうな気がする」
「……よけいに西島さんと元彼を同一視してしまって苦しむっちゅうことはないのん?」
「大丈夫。西島さんは西島さん。聡の心臓を持っていても、聡にそっくりでも、あの人の中に聡の魂があるわけじゃない。西島さんが立派なピアニストになったのも、西島さん自身が病気を克服して自分で努力したからなんだよ」
「そこまで言うんやったら、あたしもう何も言わへん。くれぐれも西島さんを混乱させるようなことだけはせんようにな」
「うん。西島さん本人にとっては全く関係ないことだもんね。それにあたし、西島さんに引かれてはいたけど、あの人とどうにかなりたいなんて思ってないよ。実は、昨日聞いちゃったんだけど、婚約者がいるんだって」
 本当は前夜のショックがまだ胸にちくちくしてはいたが、努めて明るく返した。
「奈々子……」

 その夜、奈々子は意を決し、一本の電話をかけた。
「はい、雨宮です」
 何年ぶりかに聞く懐かしい“聡ママ”の声だった。
「奈々子です。ご無沙汰してます」
 聡の母親は驚き、奈々子からの連絡をとても喜んだ。近況などを伝え合い、ひとしきり弾んだ話が一段落ついたところで奈々子は切り出した。
「実はどうしても教えてほしいことがあって今日お電話したんです」
「教えてほしいこと……? そんな改まっちゃってどうしたの?」と聡の母親は不思議そうにたずねた。奈々子は一度息を深く吸った。
「あのとき……あの事故のとき……聡くんは脳死状態になったのではありませんか?」
 一瞬絶句するようすが電話の向こうから伝わってきた。
「急に……どうしたの……? 何で今ごろ……?」
「そしてそのまま、臓器移植のドナーになったのではありませんか」
【つづく】