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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第1話> 11年目の戸惑い

「今日こそは、もしかしたら……」

そんな期待が杏奈にはあった。期待というか、確信に近い。だから、さっき電話をかけてきた母親の話も、まったく耳には入ってこなかった。
「枚方の叔母さんがいいお話を持ってきてくれてね。
お相手は34歳のお医者さん。いまは勤務医だけど、将来は実家のクリニックを継ぐみたい。杏奈ちゃんも、雑誌の仕事っていつまでも安定してあるわけじゃないでしょ。
もう28歳なんだし、少しでも若いうちに……」

自分の娘に恋人がいるのを知ってか知らずか、受話器のむこうで縁談を進めようとする母親の電話を、杏奈は出かけるから時間がないといって、強引に終わらせてきたのだった。

その夜、杏奈は恋人の直樹と、いま話題のフレンチの新店で食事をする約束をしていた。つき合い始めた記念日は必ず一緒に食事をするのが、二人の決まりだった。

中堅の食品メーカーに勤めている直樹とは、もうつき合いも長い。間もなく昇進しそうだとも聞かされている。
となれば今日のディナーは、プロポーズには大層都合のいいイベントだ。お見合いなんてごめんだと、杏奈は心底思っていた。

――それにしても、ここのシェフは本当に野菜使いがうまい――

杏奈は、一皿ごとにうっとりしていた。切り方や火入れのコントロールが巧みなのだ。
先ほどのメイン料理に添えられた春野菜のグリエなどは、不用意にもため息をもらしてしまったのではないかと、心配になるほどのおいしさだった。

「あのさ、オレ……」

紅茶のカップをそっと置き、こう切り出した直樹の目を見て、杏奈は思わず身構える。
「営業から経理に異動することになった」

杏奈は、突然の話に目の前が真っ白になり、ごくりと喉を鳴らした。
「取り返しのつかへん失敗しちゃってさ。数字の勉強からやり直せって課長に怒られて。へこんでたら、辞令。ま、修業のつもりでがんばるわ」

――畑違いの経理にいくというのは、出世コースからはずれたのも同然なのではないか――

ようやく落ち着きを取り戻した杏奈に、いら立たしさがこみ上げてきた。そして何よりも、そんな事実を
当事者の直樹がひょうひょうと話していることが杏奈には許せなかった。

杏奈はフリーランスのフードライターとして、雑誌やWebの記事を書いたり、ときには広告のコピーを書いたりもしている。業界での評判は上々で、若手の注目株といっていい。

堀江の高層マンションで一人暮らしをして、週に1回は高級エステサロン通い。
仕事柄というのもあるが、晩はほぼ外食、年に3~4回は海外旅行に出かけるだけの経済力もある。
「同年代の仕事を持つ女性としては、まぁ成功している部類だろう」

杏奈には、そんな自負がある。
「夫に依存する人生はイヤ。お互い自立して、尊重し合いながら生きていきたい」

杏奈は口ぐせのように、そう繰り返し言ってきた。
――だからこそ必死で仕事のスキルを磨いてきたし、直樹にも第一線で活躍してほしいと願いつづけて
きたのに。20歳でお見合い結婚して、いつでも夫に服従している母親のような人生はまっぴら――
 杏奈が深いため息をついた途端、二人の携帯電話が同時にぶるぶると震えた。杏奈がディスプレイを見ると、「K高校同窓会のお知らせ」という、メールのタイトルが目に飛び込んでくる。
「高校の同窓会か。会場は、お初天神通り商店街の『じどり家』」

同じように自分に届いたメールを見て、直樹がひとりごちた。直樹は高校の同級生。
そしてふたりのつき合いは、今日でもう10年にもなるのだ。杏奈は、もう何度目なのかわからないため息を、
大きく長くもらした。

「カレが私のベターハーフだって、出会ってすぐわかりました。だって、価値観はぴったりだし、一緒にいて居心地もいいし」

その日発売の週刊誌で、青年実業家との婚約がスクープされた清純派女優のAは、テレビの画面の中で頬を赤らめながら、インタビューにそう答えていたことを杏奈は思い出した。

「ベターハーフ」というのは、「もうひとりの自分」という意味だそうだ。ひとつの魂が、この世に生まれ出てくるときに男性と女性に分かれる。その相手が、ベターハーフ。
「直樹は、私のベターハーフなんだろうか」

同窓会へと向かう杏奈は、梅田のお初天神通り商店街を歩きながら、自問自答を繰り返していた。
――そんな気もするし、違う気もする――

杏奈はさっき、商店街の入口にほど近いところにある、露天神社に立ち寄ってきた。なんでも、近松門左衛門作の恋物語『曽根崎心中』にゆかりがあり、恋愛にご利益がある神社なのだという。
「最近、若い子が大勢詰め掛けて、ちょっとしたブームになっているらしいですよ」

仲のいい編集者から、杏奈はたまたま教えてもらったばっかりだった。
「ベターハーフと出会えますように」
 さっき絵馬に書いた文章を、杏奈は思わず口に出してしまったかもしれない。そのときだった。
「高宮さん? 高宮、杏奈さん?」

後ろから杏奈を呼ぶ声。振り返ると、見たこともない男性が立っていた。
――いや、どこかで見たことがあるような。以前取材した店のスタッフだろうか――
「美崎です。今回幹事の、美崎慎二」
「美崎くん? え? でも……」
 杏奈の記憶の中にいる美崎と、別人ともいえる姿だった。高校時代の美崎は、ギスギスにやせて、
メガネをかけていて、刃のようにとげとげしい目をしていた。
「ごめんごめん。オレ雰囲気変わったって、みんなに驚かれるから」

変わったどころではない。美崎は、すらりとした長身に、見るからに質のいいジャケットをさらりと羽織り、
涼やかな笑顔を浮かべ、杏奈の目の前に立っている。穏やかさの中に鋭さをのぞかせる表情が、
仕事で成功していることもうかがわせた。
ぶしつけに見ていることに気づき視線をそらした杏奈に、美崎はこう切り出した。
「ま、いい意味で驚いてくれたのならうれしいけど。だって高校のとき、実はオレ、高宮さんのこと……」
――まさか、露天神社のご利益が、もう?――

ベターハーフという言葉が、杏奈の頭をかすめたときだった。
「あれ、美崎くん?」

鼻にかかった甘ったるい声に、美崎の言葉が止まった。振り返ると、同級生の皆口舞衣が立っている。
高校時代、何かと杏奈にライバル心を抱き、いやがらせをしてきた、杏奈にとっては最高にイヤな女だ。
「やっぱり、美崎くん。その節はお世話になりました。あ、杏奈ちゃんも久しぶり」

わざとらしい言葉も、舌足らずのしゃべり方も、上目づかいで人を見るのも、何もかも昔のままだと、杏奈は苦々しく思い出す。
――まぁ、いい。時間はたっぷりある。美崎くんは私に好意を持っていたみたいだし――

そう思い直して、ひとり甘やかな気分にひたる杏奈に、舞衣が身を乗り出して話しかける。
「杏奈ちゃん、直樹くんとまだつき合ってるんだってね。すごく長くない? 結婚目前だなんて話も聞いたよー」

舞衣の話を聞いて、美崎の顔がくもった。
――やはり、私にいやがらせをしている。まだあのことを根にもっているなんて――
 杏奈は舌打ちしたくなるのを必死でこらえて、高校時代のことを思い出していた。

【つづく】