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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第6話> けだるい失望と、心地よい期待と

「あの、遼くん。あのね」

舞衣のライバル心による策略のせいで、突然あらぬ疑いをかけられた杏奈は、どうこの場を乗り切ろうかと、考える間をとるために遼に呼びかけた。

「すみません、杏奈さん。着信が入ったみたいなんで、ちょっと待ってもらえますか?」

それまで杏奈へのいら立ちをあらわにしていた遼が、その感情を押し殺すかのような事務的な口調で杏奈の言葉をさえぎる。二人の会話は中断し、杏奈は1分ほど待たされた。

「電話、舞衣さんからでした」

杏奈の耳に次に聞こえてきたのは、先ほどまでとは別人のような、バツの悪そうな遼の声だった。

「なんか、メールサーバーの調子が悪かったみたいで。いま杏奈さんからのメールが届いた、って。いまから大急ぎでデザイン仕上げて、明日には送ってくれるみたいです。すみません、誤解とはいえ、なんか責めるようなこと言って

杏奈には、誤解が解けたことを安堵する気持ちはあまりない。それよりもむしろ、舞衣の身勝手すぎるふるまいに辛抱がならなかった。けれど、その怒りをぐっと飲みこみ、当たり障りのないやりとりをして電話を切ったときには、もう時計の針は深夜の0時半を指していた。

本当は時間をかけてスキンケアをし、お気に入りのカモミールティーを飲もうと思っていた杏奈だったが、そんな気はとうに失せてしまっている。肌の手入れもそこそこに終え、やりきれない気持ちを振り払いたい一心で、杏奈はわざと倒れ込むようにしてベッドへともぐり込んだ。

雨が降ると、杏奈はしばしば頭痛がする。首の後ろをぎゅっとつかまれるような、痛いというか重だるいかんじ。遼との電話で深く眠れなかった翌朝、折しも外はあいにくの雨模様だった。杏奈は朝から頭痛で気分がすぐれない。さらには、湿気のせいで髪の毛全体がゴワつき、右側の毛先がどうもうまくカールしてくれないことに、杏奈はいら立ちをおぼえていた。

どうしてもまとまらない髪の毛を束ね、杏奈が梅田にある編集部に着いたのが昼過ぎのこと。定期的にこの編集部が出版している雑誌の仕事をして3年になる杏奈は、フリーランスという立場だったが、デスクを一つ与えられていた。席に着き、取材した店舗からの校正原稿の戻りを確認すると、前日が締切だったにも関わらず、10軒のうち3軒から返信が届いていない。杏奈が急いで確認の電話をすると、オーナーが急きょ山梨の実家に行くことになったため、帰ってくるまで返事ができないという店、定休日ではないはずなのに何度かけても応答がない店など、どこも手ごたえがない。その日中の返信をあきらめて、次の号に向けての企画書を作り始めた杏奈だったが、保存しようとした途端パソコンが動かなくなり、一から作り直さなくてはいけなくなってしまった。杏奈はため息をつかずにはいられない。

「杏奈さん! ちょうどよかったー」

取材先から帰ってきた編集者の今日子が、杏奈を見つけて駆け寄ってくる。

「きのうは原稿ありがとうございました。で、すごくいい原稿だったんですけどね、ほんっとにすみません! 実は一つ前の企画のページ数を急きょ増やすことになって。杏奈さんに書いていただいたページ、ちょっと削らなきゃだめなんです。だから、文字数減らしていただいてもいいですか?申し訳ないです」

杏奈は嫌な顔一つせずに原稿の書き直しを請け負ったが、思い入れの強い記事だっただけに、実は心穏やかではなかった。

――きのうから、いやなことばっかり。全部、舞衣のせい――

舞衣への憎しみで顔をゆがめたとき、携帯電話が一磨からの着信を伝えた。先日、遼から電話がかかってきたために一磨との会話が中途半端になってしまっていたことを、杏奈はふと思い出した。舞衣のことをきっかけに、遼に対する気持ちも複雑なものになってしまっていた杏奈は、一磨からの電話に出ようと編集部の外の廊下に出る。その間に着信は途切れてしまい、折り返しかけようと思った途端、次はメールが届いた。美崎からだった。

――急だけど、今晩空いてる? 前にちょっと話した、本町のイタリアン。よかったら今晩どうですか? ――

杏奈はむしゃくしゃしていた気持ちが、一気に吹き飛ぶようだった。もちろん行くに決まっているが、すぐに返信をするようなことはしない。いかにも待っていたかのように思われるのは、杏奈は嫌だった。10分ほど待ってから返信を送ると、きっかり3分後に美崎からのメールが届いた。

――19時に予約しました。2軒隣りのバールで待ってます――

編集部のデスクに戻った時には、杏奈は先ほどとは別人のように上機嫌になっていた。美崎の自分への好意は間違いないと確信が持てたし、スマートな誘い方も好印象だった。美崎こそが露天神社が引き合わせてくれたベターハーフかもしれないと、杏奈は思わずゆるみそうになる頬を引き締めながら、空想する。

――露天神社が縁結びの神様だっていうのは、本当だった――

もちろん遼への軽いいら立ちも忘れていたし、一磨に電話することも、杏奈の頭から消えてしまっていた。

杏奈は、夜のビジネス街を歩くのが好きだ。行き交うビジネスマンやビジネスウーマンは心地よい疲労感をまとっているように、杏奈には見える。

――自信に満ちた顔、くたびれた顔、本当にいろいろな顔。でもすべてが「現場のにおい」を濃密に漂わせている――

その独特の空気の中に身を置くと、杏奈は自分自身が「現場」にいることを再認識する。仕事をしていることの充実感を再認識し、気が満ちてくるように杏奈は感じるのだ。この日は美崎との待ち合わせ場所に向かっているという期待感が、杏奈の足取りを一層軽いものにしていた。

――約束の10分ぐらい前に着いたらいいかな。あまりぎりぎりでは時間にルーズだと思われるし、それに何よりバールで待ち合わせってことは、きっと食前酒を飲もうっていう意味だろうし。うん、10分前に行こう――

仕事でもプライベートでも約束時間より前に着くようにしている杏奈だが、男性より先に待ち合わせ場所に着くのはいやだった。直樹と付き合っていたときはいつも待たされてばかりだったが、美崎は必ず自分より先に来ている自信が、杏奈にはあった。

久しぶりに駆け引きを楽しみながら、杏奈が待ち合わせのバールに着いたとき、美崎はスプマンテを飲んでいるところだった。美崎が身にまとっているスーツは、体形にフィットしてシルエットに無駄がなく、春の夜7時という時間帯のうっすらとした闇の中で、品のある光沢を見せている。よほど自分に合うブランドを知っているか、オーダーなのだろうと思った杏奈は、ふと直樹の口ぐせを思い出す。

「オレ、営業であちこち走り回るやろ? だからスーツなんてすぐあかんようになるもん。いいもん着るより、そこそこのやつを数多くそろえといて、どんどん新しいのに替えていくほうがいいやん」

すぐにだめにするからという理由で、あまり上質なスーツを着なかった直樹とは大違いだと杏奈は思う。そして、目の前にいるスーツ姿の美崎を見て、誇らしい気分に包まれた。

杏奈もバールでスプマンテを飲んだ後、美崎と杏奈は2軒隣りのリストランテへと向かう。その店のシェフはイタリアのプーリア州で長年修業していて、プーリア州の本格的な料理を食べさせてくれるのだと、特に手打ちのオレッキエッテは最高だったと、美崎がにこやかに杏奈に伝えた。

最初に運ばれてきたのは、名産のエディブルフラワー(食用花)を華やかにあしらった前菜だった。自家製パンの盛り合わせには、プーリア州産の完熟オリーブから搾ったエクストラバージンオリーブオイルが添えられている。そして、菜の花のオレッキエッテは、菜の花のほろ苦さとアンチョビソースのうまみとのバランスが絶妙で、おかわりしたくなるほどのおいしさだった。美崎が先日言っていた通りワインの品ぞろえも多く、ソムリエがそれぞれの料理に合う一杯を勧めてくれる。

最初は美崎に対して計算的に接していた杏奈だったが、前菜からドルチェまでおいしい料理を味わい、ワインやエスプレッソを味わい、美崎の豊富な話題と穏やかな口調に惹きつけられるうちに、いつの間にかそんなことも忘れている。食後酒として美崎がグラッパを、杏奈が自家製リモンチェッロを飲む頃には、杏奈はすっかりくつろいだ気分になっていた。透明感あるレモンイエロー色に見とれていた杏奈がグラスから目を離し、ふと美崎の顔を見ると、そこには真剣なまなざしの美崎がいた。

「高宮さん、同窓会の日に言いかけたこと、覚えてる? 実は高校のとき……」

杏奈は思わず居ずまいを正し、美崎の目を見据える。杏奈は心地よい酔いに包まれながら、美崎の次の言葉を待っていた

【つづく】