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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第7話> 偶然の出会いと、必然の出会いと

美崎からの決定的な言葉を待つ杏奈の耳には、ことさら周囲の音が大きく聞こえる。そのとき、店の扉が静かに開いた。そんなさりげない音すら、まるでよくできた効果音のように、なめらかな質感や重量感をもって、杏奈の耳に厳かに響く。

「予約してないんですけど、大丈夫ですか?」

音に敏感になっていた杏奈の耳に、その音がくっきりとした輪郭を持って届いた。

――この声は、直樹?? ――

長らく聞いていない元恋人の声だと、杏奈は確信を持つ。およそ10年もの時間を共に過ごしながら、突然の別れの日以来、二人が顔を合わせることはなかった。杏奈が偶然に夜の街中で直樹を見かけたときを除いては。しかも、杏奈をライバル視して、仕事の邪魔をしてくる舞衣と直樹が一緒だったことを杏奈は苦々しく思い出す。とはいえ、やはり偶然の再会に心が浮き立ち、扉のほうをゆっくりと振り向いた杏奈は、直樹は一人ではないらしいとすぐに気づいた。あろうことか、久しぶりに見る元恋人のかたわらには、また舞衣が寄り添っていたのだ。

「あれ、杏奈ちゃん? 美崎くんも? 」

めざとく自分たちの姿を見つけ、わざとらしいほどに驚いた表情を顔に浮かべて近づいてくる舞衣の姿を、杏奈は呆然と眺めていた。

―この前の夜のことといい、今日のことといい、二人の関係って一体?――

直樹に未練があるわけでもないが、きらいになって別れたわけでも、ましてや憎しみ合って別れたわけでもない杏奈は、直樹と舞衣が一緒にいる姿を目の当たりにして、やはり動揺せずにはいられない。決して後ろめたいことをしているわけではないものの、美崎と一緒にいるところを見られたから、その気まずさはなおさらだった。直樹とて

それは同じようで、なかなか杏奈と目を合せようとしない。美崎もこの局面でどのような態度をとるべきか迷っているようで、口火を切ろうとしない。

この場を切り盛りできるのは自分しかいないとばかりに、淡いピンク色のサマーニットをまとった舞衣が、意味ありげな笑みを浮かべながら、杏奈と美崎のテーブルに近寄ってくる。テーブルの上では、相変わらずリモンチェッロが透き通ったイエローの光沢を放っていた。つい数分前まで杏奈がうっとりと眺めていたそのリモンチェッロが、今では杏奈たちのどんな細かな表情の変化も見逃すまいと目を光らせている、抜け目ない観察者のように杏奈には感じられた。

「二人で仕事の打ち合わせ? それにしては、なんか、ねー」

舞衣は、含みをもたせた言い方で、直樹に同意を求める。直樹は何も答えず、あいまいに口元を緩めただけだった。杏奈は冷静になれない自分を恥じながらも、椅子から立ち上がり、舞衣に告げる。

「もう食事も終わったし、今から帰ろうかって言ってたとこ。私もそろそろ帰って書かなきゃいけない原稿もあるし」
「あ、例のグルメマップも大詰めだしね。杏奈ちゃんのおかげで、ほんといいのができそう。期待してるから、よろしく」

自分に対する屈折した思いから、うそをついてまでスケジュールを乱そうとしてことを棚に上げ、友好的な態度を見せてくる舞衣を、杏奈は許せないと改めて思う。

「直樹も元気そうでよかった。美崎くんも今日は本当にありがとう。じゃ、また連絡します」

杏奈はその場の3人に軽く頭を下げ、後ろを振り向くこともなく、店を後にした。美崎に悪いと思いながらも、杏奈はとにかくその場を離れたくて、通りがかったタクシーに足早に乗り込む。

「……お初天神通り商店街までお願いします」

まっすぐ自宅に帰るのがいやだった杏奈は、少し考えて運転手にそう頼み、大きなため息をつきながら目をぎゅっとつぶり、行儀悪く座席に倒れ込んだ。

「もしもし、一磨くん? ごめん、ごめん! 今日、電話くれてたのに。大事な打ち合わせや電話が続いて、てんてこまいで。何かあった? 」

バッグから携帯電話を取り出し、杏奈は一磨に電話をかけた。かかってきたときには応答もせず、折り返しかけることもなく、自分が誰かと話したいからという理由で、遅い時間に電話をすることは勝手なことだと分かっている杏奈だったが、どうもこうも虫の居所が悪い。やり場のない怒りを誰かにぶつけたい気分だった杏奈にとって、自分たち全員のことを知っていて、とりわけ直樹とは高校時代に親友だった一磨は、いま話すのにうってつけの相手だった。

「いや、この前、直樹のことで気持ちが落ち込んでたみたいやったから、大丈夫かなと思って」

あくまで人のいい一磨は、杏奈の勝手な電話をとがめることはない。それどころか、振り回されていることにすら気づいていないようだと、杏奈は少し心が痛んだ。けれど、その一磨の純粋な心にかえって杏奈のやり場のない怒りは増幅し、一方的に話をしてしまう。

「いまさっき食事をしてたら、直樹と舞衣が入ってきて。偶然とはいえ、嫌いな舞衣が同じ店に来るのも腹が立つし、一緒にいたのが直樹っていうのも腹が立つし、私に気づいたときの直樹の戸惑ったような表情も、舞衣のわざとらしいねちっこい口調も、全部全部腹が立って仕方なくって」

自分のいら立ちを分かってもらいたいことで頭がいっぱいの杏奈は、ふと我に返って思い出す。

――そういえば、この前もこうして一磨くんに愚痴ばっかり聞いてもらった――

時折相づちを打ちながら自分の話を聞いてくれる一磨に、杏奈はふと申し訳ない気持ちがこみあげてくる。

――でも、子どもに絵画を教えている一磨くんは、子どもならではの自由奔放なふるまいや、ときに理不尽だと感じさせる親たちのふるまいに日々触れていて、こうした扱いに慣れているのかもしれない――

杏奈は自分を納得させながら、一磨との会話を続ける。ほどなくして、お初天神通り商店街に近づいてきたことを杏奈は知る。どのあたりに停車すればいいのかを教えてほしいとばかりにこちらを見てくる運転手の様子に気付いた杏奈は、一磨に告げた。

「一磨くん、本当にありがとう。心配してくれて。また何かあったら電話してもいい? 」

タクシーから降り立った杏奈の足は、自然と露天神社へと向かった。間もなく夜22時を迎えようとしている境内はしーんと静まり返り、周囲の飲食店街の喧騒とは無縁の世界だ。縁結びにご利益があるといわれる露天神社で祈願した直後に美崎と再会したことを、杏奈は懐かしく思い出していた。

――あのときはまだ直樹と付き合っていて。でも、美崎くんに心惹かれるものも感じて。遼くんが私のベターハーフかなとも思ったけど、この前の舞衣の仕打ちのせいで、お互いにぎくしゃくしてる。そして今日は、また舞衣のせいで、美崎くんとも。一体、私のベターハーフって誰? 直樹と会ってこんなに動揺するなんて、やっぱり直樹が?? ――

自分に対して明らかに好意を抱いてくれている遼の店に行き、遼の作った料理を食べ、遼との気取らない会話を楽しんでいれば、気持ちが晴れるかもしれないと考える杏奈だが、先日の一件以来、遼に対して素直に接することができない。やはり遼の店には行かないでおこうと杏奈は商店街の通路に立ち、周囲を見回した。そのときだった。

「落ちましたよ」

振り向くと、見たことのない男性が立っている。やや色白の整った顔立ちの男性を見て、年齢は30歳を過ぎたぐらいだろうかと杏奈は見当をつける。

――ベーシックな色合いで品よくまとめたスーツのコーディネート、フランクだけど決して馴れ馴れしくはない接し方。まだ若手だけど会社の中である程度のポストにつき、仕事をこなしているビジネスマンといったところ? ――

一瞬のうちに杏奈は目の前の男性を値踏みする。ふと男性の手に目をやると、その手には杏奈が大事にしているペンが握られていた。

「すみません。大事なペンなんです。ありがとうございます」

杏奈が深く頭を下げると、男性はにこりともせずに軽く会釈して、足早に立ち去っていく。突然目の前に現れた男性に悪い気を抱いていなかった杏奈はやや拍子抜けしたが、すぐに気を取り直す。どの店に行こうかと思案を続けながら、杏奈は商店街の中をどんどん進んだ。

「ここに行ってみよう」

杏奈が選んだ店は、グルメマップの取材で次週に訪れることになっている京風おでん屋だった。

「おでんって聞くと、冬のものと思うでしょ? いやいや、それが違うんっすよ。あそこのおでんは、もうあっさりした出汁が効いてて年中旨い! おやっさんがとにかくお酒が好きで、全国の地酒もそろってますしね。何より、気の利いた季節の一品がいっぱいありますから、ほんっといい店ですよ」

以前、遼からも話を聞き、杏奈が気になっていた店だった。

「いらっしゃいませ」

店に入ると、一本木のカウンターが厨房の前に据えられている。5つほどあるテーブル席には、品のいいビジネスマンの集まりや若い女性同士のグループが腰を下ろし、静かに食事を楽しんでいた。店の中には出汁が柔らかく煮立てられた香りがふわりと漂い、ささくれ立っていた杏奈の心を、柔らかく満たしていく。

「お一人さまですか? あいにく二人用のテーブル席がいっぱいで。カウンター席でもいいですか?」

初老の女将さんに先導されて腰を下ろした席の隣には、見覚えのある男性が座っている。

「あれ、さっきの……」
「あ、ペンの。奇遇ですね」

杏奈は改めて、偶然に相席になった男性を、下品にならない程度に観察してみる。几帳面にアイロンがかけられたシャツ、相手に圧迫感を与えない、ほどよく高級なスーツ、一日の疲れを感じさせない、すっと伸ばされた背筋と、こちらをぶしつけに見てこない控えめな態度。初対面で隣り合って食事をするには、申し分のない相手だと杏奈は思った。

――ただ、あんまり面白みがないかも――

つい先ほどまで、万事に気遣いが行き届いた美崎との食事の場にいた杏奈には、隣にいるそっけない男性に物足りなさを感じなくもない。

「女将さん、まずは焼き枝豆と、京水菜とフルーツトマトの柚子風味サラダ。それから、合鴨ロースと九条葱の黒七味焼きもください。お酒は、いつもの純米吟醸で」

杏奈の思索をさえぎるかのように、男性が注文をする。杏奈も、目の前に置かれたお品書きにそっと手を伸ばした。

【つづく】