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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第8話> 淡い期待

ペンを拾ってくれた見知らぬ男性と隣に座り、おぼろ昆布がふわりとのせられた大根や、イクラが添えられた半切りの玉子など、杏奈は黙々とおでんを食べ続けた。美崎との食事でおなかは満たされていたはずの杏奈だったが、どの具もするりするりとおさまっていく。出汁がじんわりと染み込んでいて、薄味ながらも深い味わいのおでんに、杏奈は幾度となくため息をもらしそうになったほどだ。

男性の名字が城井ということを、女将さんと男性の会話を聞いていて杏奈は知った。だが、杏奈から話しかけることも、城井から話しかけられることもなく、それぞれに注文し、それぞれに平らげていく。ちょうど1時間経って、広島の蔵元のものだという淡いピンク色のにごり酒を飲み干したところで、会計をしようと杏奈は席を立った。が、城井は相変わらず杏奈に会釈しただけだった。

――ちょっとぐらい、愛想よくしてもいいのに――

城井に多少の好意を抱いていた杏奈は少し不満だったが、さりとて気にはしない。やわらかく出汁が染みたおでんと、とろりと芳醇なにごり酒のおいしさに杏奈は心底満たされ、店を後にした。

「美崎くん、さっきはごめんなさい。ろくにお礼も言わず、急に……」

杏奈は自宅へと戻るタクシーの中で、美崎に非礼を詫びるメールを打とうとした。だが、言い訳めいた文面になるのがいやで途中でやめた。察しのいい美崎なら、直樹と舞衣の姿を見て急に店を飛び出した自分の姿を見て、事情を見抜いているだろうと杏奈は感じていた。それに、自分に告白しようとしていたであろう美崎に対して、どう接していいか杏奈は正直分からなかったのだ。

「帰ったらロイヤルミルクティーを飲もう。それも、とびきり甘いやつを」

1軒目のリストランテでワインと食後酒のリモンチェッロを、2軒目のおでん屋で日本酒を2杯飲んだ杏奈は、あくびをかみ殺しながらぼんやりと考えていた。

――遼です。グルメマップの取材、いろいろありがとうございます。ずっと前言ってくれてたメルマガ、覚えてます? 添削してくれるって言ってくれてましたよね? いつかお時間ありますか? 桃ちゃんが書いてくれた原稿、見てもらってもいいですか?――

翌朝、杏奈がメールボックスを確認したときに最初に目に飛び込んできたのは、遼からの遠慮がちな、疑問文だらけのメールだった。舞衣のいやがらせがきっかけでお互いぎくしゃくしていたことを、遼も気にしていたのだろうと杏奈はおかしくなる。もちろん、杏奈には断る理由がない。書かなくてはならない原稿はたまっていたが、その日中に納めるべき急ぎの案件はなかった。時間のやりくりができそうだと考えた杏奈は、遼に返事を打つ。

――いいですよ。今日も夕方までグルメマップの取材で、お初天神通り商店街さんにいます。オープン前はお忙しいだろうけれど、16時頃『じどり家』さんにお伺いしましょうか?――

朝から遼との約束が決まった杏奈は、久しぶりに遼と会うきっかけができたことを喜んでいた。舞衣の一件以来、自分に対して好意を抱いてくれている遼との関係がぎこちなくなっていることを、もちろん杏奈も気にしていたのだ。一磨からも杏奈を心配するメールが届いていることに、杏奈は気付いた。が、杏奈にとって一磨は「便利な人」になってしまっている。一磨に悪いと思いながら仕事のメールの返信を先にしているうちに、杏奈は一磨への返信を忘れ、取材の用意をして慌ただしく自宅を後にした。

「杏奈さん、お忙しいところすみません」

約束の16時少し前に遼が待つ『じどり家』に着いた杏奈は、相変わらず顔中をくしゃくしゃにして笑う遼の笑顔に迎えられ、思わずほほがゆるんだ。

「こんにちは。今日は本当にありがとうございます」

遼の傍らでぺこりと頭を下げる桃の健気さにも、杏奈は穏やかな気持ちになる。前日のことで苛立っている心が、少しずつ丸くなるのを杏奈は感じていた。

「早速いいですか? 桃ちゃんが書いてくれたの、これなんです」

おずおずと遼がメルマガ原稿を差し出すしぐさと、身をこわばらせて杏奈の反応をうかがっている舞衣の様子を見て、杏奈はほほえましい気持ちになる。大学に通いながら『じどり家』でアルバイトをしているという桃の原稿は、プロの物書きである杏奈の目で見ても、よくできていた。

「桃ちゃん、初めてでここまで書けたら、本当にすごいと思う。ただ、気になるのが……」

杏奈のアドバイスを一言一句もらさずメモしようとする桃の姿に、杏奈は自分でも熱が入るのが分かった。二人の熱意にほだされて必死で指導する杏奈と、熱心に聞く桃、それをうなずいたり疑問をはさんだりしながら聞いている遼。3人の時間はあっという間に過ぎ、17時の開店時間を迎えた。

お礼にゆっくり食事をして行ってほしいと遼に言われた杏奈だったが、その日は宴会予約がたくさん入っているようで、見るからに店の中が慌ただしい。また来ると言い残した杏奈の足は、前日のおでん屋へと向かう。老夫婦が作る出汁のやわらかく染みたおでんを、杏奈は無性に食べたくなったのだ。そのとき携帯電話が着信を伝え、杏奈は応答する。聞こえてきたのは、編集者の今日子の声だった。

「杏奈さん、こんにちは。お疲れさまです。すみません! あさってでいいって伝えてた、例の企画書なんですけど、できたら今日いただくこと……って、できます? 」

杏奈の頭の中はおでんのことでいっぱいだったが、いつも仲良くしている、まるで後輩のような存在の今日子からの頼みを、杏奈はどうしても断ることはできなかった。

「今日子ちゃんの頼みなら仕方ない。そうそう、おいしいイタリアンがあったから、また今度食べに行こっか」
「いつも助かります! イタリアン、ぜひぜひ。ほんっとありがとうございます」

杏奈は、近くにあるなじみのコーヒーショップに入り、パソコンを出して企画書を書き始めた。2階フロアには、杏奈と同じようにパソコンを広げるビジネスマンが大勢いて、長時間の滞在やパソコンの使用を気にする必要がない。何かと外出先でパソコンを広げる必要のある杏奈にとっては、助かる存在の一軒だった。

そしてようやく企画書を書き上げて今日子にメールで送り、おでん屋にたどり着いたときには、もう20時を過ぎている。杏奈を見てやさしく微笑んだ女将さんに挨拶をした杏奈は、その日もカウンターに城井が座っているのを見つけた。

「こんばんは。毎晩、来られるんですか? 」

杏奈はあまり自分に興味を持っていなさそうな城井に、思わず話しかけてしまったことを後悔したが、もう遅い。隣の席に座らざるを得ない空気を自分で作ってしまったのだ。その瞬間、入り口付近から女将さんの声と、にぎやかな三人連れの男性客の声が聞こえてきた。

「あらあら、大きな荷物。釣竿? 」
「そこの釣具屋で買ってきてん。大事なやつやから、端にでも置かしてもらっていい? 」
「山ちゃんも坂ちゃんも、だいぶ悩んで買ったもんなぁ」
「丸ちゃんも買ったらよかったのに」

落ち着いた店の雰囲気に似つかわしくない、やや大きめの声と、お互いにちゃん付けで呼び合う三人連れが気になり、杏奈と城井がほぼ同時に振り向く。すると、大柄の男性が、城井を見て大声をあげた。

「あれ、城井さん? これまた奇遇な。お世話になってます。あの、そちらの女性は……」
「きのう初めてお会いしたんです 」
「偶然きのう会った方です」

同時に同じことを言った杏奈と城井は思わず顔を見合わせてくすりと笑い、空気が一気になごんでいく。三人連れもなぜか合流し、食事は急に5人という大所帯になった。

何かと話し好きな「山ちゃん」こと山田の話から、城井は金属メーカーに勤める会社員で、まだ30代半ばという若さながら、その将来性を期待されて課長代理というポストについていることを杏奈は知った。人材派遣の会社で営業をしていて、城井とやりとりしている山ちゃんが言うには、城井には先を見通す力があり、それでいて現場の状況も細やかに把握でき、物静かながら行動力があって気遣いもできるというのだ。

「山田さん、よく言い過ぎですよ」

そう言って城井は笑ったが、杏奈は目の前にいる城井のことを見直していた。

――この人、面白みがないと思っていたけど、細やかな神経の持ち主みたい。実は私のこともよく分かってくれるかも? 出会い方も運命的だったし、今度こそもしかしてベターハーフ? いや、きのう会ったばかりで、私考えすぎ――

「無農薬レタスのおでん、しゃきしゃきして、出汁が染みておいしいですよ。皮つきれんこんのおでんも、歯ごたえと香りが良くて好きなんです」

毎日のように店に通っているという城井のすすめで、杏奈たちはどんどんと注文を重ねる。おいしいおでんを一緒にほおばるうちにすっかり打ち解けた一同は、お互いの仕事のこともいろいろと話していた。

「ちょっと愚痴なんですけどね。この前、ちょっとおっきめの仕事の依頼来てたんですよ。そこそこ歴史のある食品メーカーさんなんですけど、社史を書いてほしいって」

ライターという仕事自体を知らなかったという一同は、杏奈の話を熱心に聞いてくれている。

「それで私、準備してたんです。どんなテーマで書くか、どういう構成でいくか、企画書も作ってたし。社員参加型の社史にしたいっていうことだったから、社員さんが参加できる企画も考えて、そのための資料も集め始めてて。見積もOKもらってたのに、急にキャンセルになったんですよ。担当者さんから、高宮さんには悪いけど、社長と昔からの知り合いの制作会社に頼むことになったからって言われて、それで終わり。ひどくないですか? 」

それまで話を聞いていた山ちゃんが大きくうなずいて、杏奈の不運を一緒に嘆いてくれる。山ちゃんとは釣り仲間だという丸ちゃんと坂ちゃんも、自分自身の経験を語りながら、場が盛り上がっていく。そのときに、城井が杏奈をじっと見据えてぽつりと言った。

「高宮さん、担当者との連絡、おろそかにしてたんじゃないですか? 相手が悪いというより、高宮さんの問題だと思いますよ。きっと自分一人で仕事を進めすぎて、相手は不安になってたんだと思いますけどね。だから信頼できる、昔なじみの方にお願いすることにしたんじゃないですか? 」

城井の言葉で、それまでの盛り上がりがうそのように静まり返る。自分の言葉や気持ちが置き去りにされた気になった杏奈は、みじめな気持になった。

――私のこと理解してくれるかもって、ちょっと期待したのに。こんなにひどいこと言うなんて――

杏奈の戸惑いと軽い苛立ちを感じ取った山ちゃんが、杏奈と城井の間に流れた冷たい空気を取り消そうと、大きな声を出す。

「次、牛すじ頼みません? そろそろこってりいきましょうよ。女将さん、すみません」

山ちゃんが努めて明るい声で女将さんを呼ぶのを、杏奈は苦々しい思いで聞いていた。

【つづく】