• お初天神通り商店街とは
  • お初天神について
  • 露 天神社の行事
  • お初と徳兵衛祭り
連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第9話> 意外な決断

自宅に戻ってゆっくりと入浴し、お気に入りのスキンケア化粧品で念入りに肌の手入れをし、ベッドにもぐりこんでからも、杏奈の腹立ちはおさまらなかった。

――よく知っている人ならまだしも、まだ数回しか会っていない人から、あんなこと言われるなんて。私のことちゃんと知らないのに――

自分の仕事に対する姿勢を遠慮もなしに批判した城井に対しての怒りは、濃度を増しながら杏奈の心の中に沈殿していく。このままでは眠れそうもないと思った杏奈はベッドからのそのそと抜け出し、セントジョンズワートの有機ハーブティーを入れ、そっと口をつけて飲み始める。取材先のオーガニック食材店で、「よく眠れるから」と聞いて買ったハーブティーだったが、独特の芳香とほんのりとした苦みが舌に染み入り、杏奈はよどんだ気持ちがすっきりしていくのを感じていた。

携帯電話がメールの着信を伝えて、杏奈はディスプレイを見る。メールは遼からだった。

――グルメマップの打ち上げしましょう! みんなで集まるのは今度にして、まずは二人で!――

遼と杏奈の距離を縮めるきっかけとなったお初天神通り商店街のグルメマップは先日完成し、間もなく配布が始まることになっている。杏奈へのライバル心から、一時は杏奈にいやがらせをした舞衣とも、杏奈はつかず離れずの距離を保ち、最終的にはいいものが仕上がったと自負していた。直樹と舞衣が二人でいる場面に二度も出くわしたことに杏奈は気分を害したが、直樹とのことは「過去のこと」になりつつあるのを感じている。縁結びのご利益があるという露天神社で「ベターハーフ」と出会えるように祈り、再会した美崎や、その後輩である遼から女性としての好意を受け、杏奈は悪い気はしていなかった。

――あさっては21時には店あがれるんで、その後どうですか? この前行った南仏バルで――

そう続くメールの文面を見た杏奈は、遼と二人で3本のワインボトルを開けた夜のことを思い出す。もちろんその夜に、杏奈への好意と受け取って間違いない態度を遼が見せたことも、杏奈は忘れてはいない。遼に返信してから、どの服を着て行こうかと考えるうちに心地よい眠気が訪れ、杏奈は静かに眠りについた。

遼との約束の日、杏奈は翌日が〆切の原稿を朝から急いで仕上げ、取材のアポイントの電話をするために、昼食もとらずに今日子が働く女性誌の編集部へと急いだ。

「杏奈さん、ちょうどよかった! 相談したいことがあったんです」

取材先から戻り、杏奈の姿を見つけた今日子がデスクに駆け寄ってくる。

「この前言ってた秋の旅特集なんですけどね。そろそろ動いてるんです。で、コラムを書いてくれるって言ってたお友だちの方、いらっしゃいましたよね? その方も含めて、一回打ち合わせしたいんです。急だけど、明日とかあさってとかどうですか? 」。
「ごめん。私が明日無理。あさってならいけるから、一磨くんに聞いてみようか? 」
「お願いします! いっつも急な話ばっかりで、ほんっとすみません」

電話で2日後の打ち合わせが決まり、杏奈と今日子はビル1階のコーヒーショップに移り、杏奈はカプチーノを今日子は豆乳ラテを注文して席に着いた。

「一磨さん、でしたっけ? たしか直樹さんの友だちでしたよね? 」
「高校のときは二人ほんと仲良くて、だから三人でもよく遊んだなぁ。直樹とケンカしたら、いつも一磨くんに相談して、一磨くんが仲直りさせてくれてたし」
「ふうん。やさしい人なんですね」
「そうそう。ただやさしすぎて、逆に"イイ人"すぎるかんじ。背も高いし、顔も結構かっこいいと思うんだけど」
「杏奈さん、直樹さんとは、もう全然ですか? 」
「うん、全然。付き合ってた時間が長かったから、どうしてもたまに思い出すけど。でも、もう過去のことになってきたかんじ」
「杏奈さんなら、すぐに彼氏できますよ。私も仕事ばっかりじゃなく、誰かいい人いたらいいのに! 」

とりとめない雑談を30分ほどしたところで、打ち合わせがあるからという今日子と一緒に、杏奈は編集部に戻った。それから仕事を済ませた杏奈は18時頃に編集部を出て、お初天神通り商店街へと向かう。仕事のスケジュールがつまっていて、昼食を食べ損なうことは日常茶飯事だったが、この日の杏奈は妙に空腹を感じていた。城井が来るかもしれないとは思ったが、時間帯的にかぶらないだろうと杏奈は計算し、いつものおでん屋に行こうと決める。だがその前に、足は自然と露天神社に向かっていた。

――ベターハーフは遼くんなのかもしれない。底抜けに明るいから一緒にいて楽だし、かと思えば私が苦しいときは、その状況を察してフォローしてくれるし――

いつも以上に長い間手を合わせた杏奈は、境内から出ようとした。そのとき、遼の店でアルバイトとして働いている桃が、熱心に手を合わせている姿が目に飛び込んできた。

――桃ちゃん、そういえばこの前もこうして祈ってたっけ。大学に好きな人でもいるのかな――

ほほえましい気持ちで桃の姿を見守り、声をかけることなくおでん屋に向かった杏奈は、城井がまだ来ていないことに安堵して席に着いた。杏奈は、水茄子と夏野菜のサラダや、鱧の白焼きなどの一品ものを、少しずつつまんでいく。水茄子からほとばしる水分は果汁のようにほの甘く、杏奈は身体が水分で満ちていくような感覚を覚えていた。鱧も見るからに脂がのっていて、つややかに光っている。杏奈はおろしたての天然山葵をほんの少しつけて食べ、そのとろりとした甘さを、この日のおすすめだという純米無濾過生原酒と共に味わった。

ほどよく胃袋を満たした杏奈は、時間より少し前に待ち合わせ場所の南仏バルに着く。すると、入り口ばかりを気にしていた様子の遼とすぐに目が合い、どちらからともなく笑い合う。まずはそれぞれに乾杯のワインを注文し、二人だけの打ち上げが始まった。

遼は本当によく食べ、よく飲み、よく笑う人だと杏奈はつくづく思う。食べることや飲むことが好きな杏奈は、同じように食べることの好きな男性といたいと常々思っていた。その点でも遼は合格点だと、杏奈は目の前にいる遼との時間に満足していた。杏奈はふと、先日の城井との一件の話を聞いてもらおうと思い立つ。

「私、この話ってしたっけ? 結構しっかり進めてて、いきなり先方の都合で流れた社史の仕事の話。最近ある人にその話をしたら、それは私が悪いんだって言われて。私が勝手に仕事を進めすぎたから、相手が不安になったんだって言うから、もう腹が立って。私と仕事したこともないし、私のこともきちんと知らないのに」

いつもの調子で楽しく返してくれると思っていた遼の口からは、意外な言葉が飛び出してくる。

「杏奈さん、怒らないでくださいね。その人、杏奈さんのことよく分かってるかも。いや、たしかに言い方はきついかもしれないですよ。でも、ある意味そうかなって思うとこもあるんですよね。杏奈さん、しっかりしてるでしょ? だから仕事もきっちりできる。でも、だからこそ、まわりとのペースに溝ができることってあると思うんですよ。だから気をつけたほうがいいよって、親切に教えてくれたのかも」
「そうかな。でも、わざわざ言わなくても」
「そんな風にいやがられることも、その人は分かってたと思いますよ。誰だっていやがられること言いたくないですし。それなのに言ってくれるんだから、そういう人、大事にしたほうがいいと思う。女性は人を見る目がありますね、やっぱり! 」

城井のことを女性だと勘違いして聞いていたらしい遼に、杏奈が慌てて伝える。

「ごめんごめん、その人、女の人じゃなくて、男の人。最近たまたまお店で一緒になって、何度か飲んだだけなんだけど」

城井が男性だと知った遼は、急に思いつめたような顔になり、杏奈を見つめる。その表情を嫉妬だと見てとった杏奈は、静かに遼の言葉を待った。

「杏奈さんのこと分かってるのは、その人だけじゃないですよ。オレ、杏奈さんにも前言ったけど、杏奈さんは初恋の女の子に似てるんです。だから、最初会ったときから気になってました。でも、一緒に仕事するうちに、それだけじゃなくなったんです。杏奈さんはしっかりしてて何でもこなせるんだけど、実は繊細で傷つきやすい。そんな面も見えてくるようになったら、いつの間にか杏奈さんのことばっかり考えるようになりました」

一度大きく息を吸い込んで、遼が続ける。

「今日打ち上げに誘ったのも、伝えたいことがあったからでした。杏奈さん、付き合ってください」

杏奈にはもちろん、断る理由はなかった。自分が思っている以上に、遼が自分のことを見てくれていたこと、考えてくれていたことに感動して、杏奈は言葉が出ないぐらいだった。その感動を伝えようとふと視線を外に移したとき、杏奈はよく知っている姿が自分たちをじっと見つめていることに気付く。

そこに立っていたのは、遼にとって大切な仕事のパートナーであり、杏奈にとっても素直な生徒のような存在、妹のようにかわいい存在の桃だった。

杏奈が自分の姿に気付いたことを知った桃は、軽く頭を下げ、くるりと背を向けて小走りに去って行く。店での仕事を終え、帰宅途中に南仏バルの前を通りがかった桃は、たまたま二人が一緒にいるのを見かけ、自分たちの楽しそうな姿をずっと見ていたのだろうと杏奈は思う。そして、先ほどの遼の真剣な表情を見て、どんな話をしているのかも分かったはずだと、杏奈は即座に読み取った。そのことに対して桃がどう思ったかは、杏奈には察しがつく。なぜなら桃は、自分たちの姿を見て涙を流していたのだから。

――桃ちゃん、ごめん。私、全然気付いてなかった。桃ちゃんが好きなのは大学の人なんかじゃなくて。そうか、そうだったんだ、桃ちゃん――

杏奈は少し考えて、遼を見据えて静かに切り出す。

「遼くん、ありがとう。私のこと、そんな風に思ってくれてうれしい。私も遼くんと一緒にいて楽しいし、もっと遼くんのこと知りたいと思うし、でも、でも……。それは恋人とは感覚が違う気がする。大事な友だち、なんだと思う。だから、ごめんなさい」

遼は何かをぐっとこらえた表情を一瞬見せ、すぐにいつものくしゃくしゃの笑顔に戻った。

「そう、ですよね? うんうん、分かってましたよ。分かってますって。でも、言ってみたいなと思って言っちゃいました。すみません。これからも店にいっぱい食べに来てくださいね。たまにはこうして二人で飲むのもいいなと思うし。いいですよね? 」

杏奈は泣きそうになるのを必死でこらえて、にこやかに笑いながら、大きくうなずく。

――桃ちゃんのあんな顔を見たら、私だけが幸せになるわけにいかない。それに、明るくて包容力がある遼くんと、素直で何事にも必死な頑張り屋の桃ちゃん。よく考えたら、二人はとってもお似合い。遼くんは私にとってのベターハーフじゃなくて、桃ちゃんにとってのベターハーフ。きっとそう――

油断すると涙がこぼれそうになるのを必死にこらえようと、杏奈はひたすらワイングラスを手に持ち、立て続けにグラスを傾ける。シラーとグルナッシュをブレンドしたラングドックの赤ワインからは、決して飾らないとびきりの甘やかな香りと、チョコレートを思わせる甘く濃密な味わいが溶け出してくる。

――自由で、安心感があって、やさしくて。まるで遼くんみたい――

そう思った杏奈はまた涙を流しそうになる。やや乱暴にグラスを傾け、杏奈はまたワインを喉に流し込んだ。

【つづく】