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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第10話> 高まりゆく期待

春の同窓会で再会してからというもの、幾度となく電話はしているものの、杏奈が一磨と会うのは久しぶりだった。この日は、杏奈と編集者の今日子、そして一磨の三人が編集部に集まっている。企画の打ち合わせをすることになっているのだ。

校了日を過ぎたばかりの編集部には、安堵に満ちた穏やかさと、次号の企画に向けて動き出したせわしなさとが交じり合い、独特の空気を漂わせている。一磨はこうした場に足を踏み入れるのは初めてだろうかと、杏奈は隣に座っている一磨をそっと見る。昔から変わらない穏やかな笑顔を浮かべている一磨を見ると、一磨と、一磨の親友で、杏奈の元恋人である直樹と、三人で一緒に過ごした高校時代を思い出した。懐かしい光景を思い浮かべて感慨深い面持ちになった杏奈だったが、はっとして表情を引き締める。

今日子が担当している女性誌は、25歳から35歳の働く女性をターゲットにしていた。秋恒例の旅特集で、今回は女性好みのアートが鑑賞できる立ち寄りポイントもからめることになっている。コラムを書く専門家として、一磨が企画に関わることになったのだ。

「子どもさんに絵を教えてらっしゃるんですよね? 」

一通りの打ち合わせを終え、今日子が一磨に話しかけた。

「はい。絵と造形を教えてるんですが、子どもって感性が豊かなので、こちらも勉強になりますね」
「造形なら、どういうことをするんですか?」

今日子からの質問を聞いた一磨が、バッグの中からチラシを取り出す。

「今度、お初天神通り商店街で、生徒たちのキャンドルナイトをやるんです。良かったら見に来てやってください。"花"をテーマにそれぞれがキャンドルを作ってます。力作ぞろいですよ」
「え、お初天神通り商店街で? 」
「うん。ダイニングの2階に、貸しスペースみたいなとこがあって。期間中は夕方から点灯するから、杏奈ちゃんも良かったら見に来て」

杏奈が手渡されたチラシを見ると、前年の展示であろう写真が大きく誌面を飾り、今年のテーマが書かれている。杏奈はスケジュール帳を開け、展示開始の日にメモをした。

その日の夜、杏奈はまたお初天神通り商店街のおでん屋にいた。やや疲れ気味の杏奈だったが、すっきりと香り高いしそ焼酎を飲みながらミョウガの甘酢漬けを食べていると、ミョウガのしゃきしゃきとした軽快な食感とさわやかな香りが食欲を刺激し、いくらでも食べられそうな気になってくる。次は何を頼もうかと杏奈がお品書きを開いた瞬間、店の扉が静かに開き、城井が現れた。

城井に軽く頭を下げた杏奈はふと、城井の忠言は杏奈への思いやりだと指摘した遼の言葉を思い出す。杏奈は少しの気恥ずかしさと、それを打ち消したい感情とが交差し、思わず顔を伏せた。そんな杏奈の戸惑いを推し量る様子もなく、杏奈の隣に席をとった城井は、杏奈と同じしそ焼酎を注文し、おしぼりで丁寧に手を拭き始める。

「この前、怒ってましたね。こわい顔をするから、どうしようかと思いましたよ」

急に声を発した城井の言葉が、自分に向けられたものだと分かるまでに、杏奈はしばらく時間を要した。

「会ったばかりだっていうのに、失礼ですよね。自分の部下に注意するのと同じ感覚で、思わず余計な口出しをしてしまいました。気分を害したなら謝ります。申し訳ない」

城井の言葉は思いやりだという遼の指摘をもう一度思い出した杏奈は、温かい気持ちに包まれる。杏奈の心からいら立ちは消え、相手を思いやる余裕さえ出てきたほどだ。

「いえいえ。私こそ大人げない態度をとってすみませんでした。城井さんの言うとおりだなって、私も後から思ってたんですよ。真剣に考えてくださって、感謝してます」

それから二人は、女将が勧める芋焼酎を飲み始めた。種子島産の安納芋(あんのういも)を100%使用しているというその焼酎は、ほんのりと甘くふくよかな味がして、杏奈は気持ちがゆるんでいく。もっと城井のことを知りたいと思った杏奈は、取材のような口調にならないように心を配りながら、城井への質問をやんわりと重ねた。

30代半ばという若さながら大手の金属メーカで課長代理というポストについている城井の話は、杏奈にとって刺激に満ちていながら、心地いいものだった。冷静に先を見越しながら、現状への観察と細やかな配慮を欠かさない城井の仕事ぶりが、杏奈には伝わってくる。そんな城井に好意を持ち始めていることに気付いた杏奈だったが、携帯電話が着信を伝え、中座を詫びて外に出た。

「もしもし、久しぶり。元気にしてるか? 」

聞こえてきたのは、別れた恋人の直樹の声だった。舞衣と一緒にいる直樹とばったり鉢合わせしてからも、二人が連絡を取り合うこともなく、今日に至っている。うまくいっていると思っていたのに突然訪れた別れへの複雑な気持ちと、杏奈を何かと敵対視する舞衣と一緒に直樹がいたことに対するいら立ち、そして、そのことを問いただせない自分の弱さへの腹立ち。いろいろな感情が渦巻いて、杏奈はうまく言葉が出ない。

――直樹への想いはとっくに吹っ切れたはずなのに。私、もしかしてまだ直樹のこと……直樹も同じ気持ち? ――

何も言えずにいる杏奈の耳に、直樹の声が大きく響く。

「突然ごめん。電話したのは、杏奈にちょっと伝えたいことがあってさ。オレ実は……」

淡い期待を抱いて思わず身構えた杏奈に、直樹の言葉が聞こえてくる。

「……名古屋の営業所に転勤になった」

杏奈は単純な期待を恥じる気持ちと、そこはかとない落胆とが入り混じっている自分を感じながらも、なるべく平静を装って話しかける。

「いつから行くの? どれぐらい? 」
「そうやなぁ、多分3年は帰ってこられへんやろな。親父とおふくろもさみしがってるわ。来週土曜には引っ越しやし。朝荷物を出して、ちょうど12時の東京行きがあるから、新幹線に乗って移動しよっかなと思ってる」
「そんなに急に? 」
「うちの会社、何をするにも急やからな。今週末って言われへんかっただけ、まだましかなと思ってる。杏奈も仕事がんばれよ。あのさ、オレ……」

いつもの口調で話していた直樹が急に改まった声になり、鼻をすすり出したのを聞いて、杏奈は直樹が特別な話をしようとしているのだと気づく。直樹と長年一緒にいた杏奈は、直樹が緊張したときに鼻をすするクセがあるのをよく知っているのだ。

「オレはお前が書く記事の、一番のファンやからな。いつも恥ずかしくて言われへんかったけど、ここまでよくやってきたな。これからもがんばれよ。いっぱい、がんばれよ」

気恥ずかしさからずっと言えなかった言葉を、ようやく一気に言い切った直樹の照れくさそうな声が、いつまでも杏奈の耳に残る。まったく知らなかった直樹の気持ちに触れ、杏奈は心底驚き、その優しさに涙がこぼれそうになる。

――10年以上も恋人同士として過ごしてたのに、そんなこと言ってくれたことなかった――

そして、これが本当の区切りだと、そして直樹らしいけじめのつけ方なのだと、杏奈は悟った。いつまでも自分のことを温かい気持ちで思い出してほしいと思った杏奈は、相手を思いやる言葉と声色で直樹に話しかける。名残惜しい気持ちに蓋をするかのように、杏奈は直樹に最後の言葉をかけ、通話を終わらせた。

店に戻った杏奈には、油断すると泣きそうになる自分の心の揺れを、城井に気付かれたくないという気持ちがあった。さも仕事の電話だったかのように、バッグからスケジュール帳とペンを取り出し、メモするふりをし始めた杏奈の様子を見て、城井が声をかける。

「そのペン、高宮さんと初めて会ったときに、拾って渡したペンですよね。実は、取引先でもそれとまったく同じものを使っている人がいて。だから、見たときはびっくりしたんですよ。特徴のあるペンだから」

直樹のことから気をそらしたかった杏奈だが、城井の言葉を聞いて、直樹との思い出があふれ出してくる。このペンは、直樹からプレゼントされたものだったのだ。

「珍しいのに、そんな偶然ってあるんですよね。このペン、ずっとつき合ってた恋人から、プレゼントされたものだったんです。原稿を書くのはもちろんパソコンですけど、仕事柄たくさん文字を書くから、って。本人もちゃっかり同じものを買って使ってましたけどね。大事な、思い出のペンなんです」

杏奈は、さほど面識もなく、そこはかとない恋愛感情を持ち始めた城井に、過去の恋愛の話をするのはいやだったが、次から次へと言葉が出てくる。徳島の地鶏「阿波尾鶏」(あわおどり)の読み方をめぐって言い合いになりつき合い始めたこと、直樹がどんな会社でどんな仕事をしているのか、そして、営業から畑違いの経理に異動になっても悔しさを見せず、ひょうひょうとしている姿に杏奈が腹を立てたこと……。杏奈の尽きぬ話に、城井は適度にうなずきながら、時折何か言いたげにするものの、杏奈のペースを見てはぐっと言葉を飲み込み、静かにつき合ってくれる。

杏奈は次第に、言いようもない苦しさがとれていくのを感じていた。

――城井さんは、何も言わなくても包容力があって、自然と導かれるかんじ。この人こそ、本当に私のベターハーフなのかも――

この日も露天神社に行き、ベターハーフと出会えるように祈ってきた杏奈は、そんな期待に包まれて思わず小さな身震いをする。

「あれ? またお会いしましたね! 」

大きな声の主が誰だろうと杏奈と城井が振り返ると、先日店で偶然会い、同席した山田が立っていた。自然な流れで三人はテーブル席に移動し、とりとめのない会話が始まる。城井との会話を続けたかった杏奈は、その場の会話を楽しんでいるものの、心に少しずつ、もやがかかっていくのを感じていた。

「そういえば、商店街の中に、神社がありますよね。あれってどういう神社なんでしょうね」

飴色によく煮えた大根のおでんをほおばりながら、山田が突然言い出す。

「露天神社っていう神社で、縁結びにご利益があるって有名なんですよ」

杏奈はそこでやめておこうと思ったが、なぜか歯止めがきかなくなり、さらに続ける。

「私も、ずっとお願いしてるんです。ベターハーフと出会えますように、って。ベターハーフって、もう一人の自分っていう意味で、要は運命の人みたいな意味なんですけどね。私、露天神社にお願いした直後に、城井さんと偶然出会ったから、もしかして城井さんがベターハーフかな、なんて思ってるんですよ」

山田が同席していることもあり、杏奈は言い訳ができるように冗談めかして言ったつもりだったが、これで自分の想いが伝わればいいという期待もあった。杏奈が山田を見ると、顔には少し戸惑いの色が浮かび、軽く腰を浮かしている。人のよさそうな顔をしている山田だったが、仕事柄もあってか人の心の動きには敏感なようで、杏奈の真意を察し、席をはずそうかどうか迷っているようだった。

「あんまり、運命みたいなものに寄りかかり過ぎない方がいいと思いますよ」

しばしの静寂をやぶったのは、城井の落ち着いた一言だった。

「女性ってすぐ運命とかなんだとか言いますけど、もっと現実を見たほうがいいんじゃないですか。現実と向き合っていたら、余計なおせっかいだと思いますけど、その直樹さんっていう前の恋人とも、うまくいってたんじゃないかと思いますよ」

空気を鋭く切り取るかのような城井の冷酷な言葉に、杏奈は声も出ない。城井に好意を持ち始めたときに、直樹と本当の意味での区切りをつけられた杏奈は、いいスタートが切れそうだと満たされた気持ちになっていた。そんな事情は知らないにせよ、杏奈の気持ちに冷水を浴びせるような物の言い方をする城井に杏奈は失望し、言いようもない悲しみに包まれていた。

山田の手前、みっともないとは思いながらも、テーブルの上に置いていた携帯電話を乱雑にバッグに押し込んで、杏奈はかろうじて一礼をして店を飛び出す。

――ひどい、ひどすぎる。もう二度と会いたくない。少しでも、あんな人がベターハーフかもしれないと思ったのがイヤになる――

杏奈は涙をこぼすまいと唇をきつく結びながら、商店街の夜の喧騒の中を早足で歩き続けていた。

【つづく】