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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第11話> ようやく見つけた答え

ある土曜の朝、夏のにおいが濃密に漂い始めたのを感じながら、杏奈はお初天神通り商店街近くのコーヒーショップに向かっていた。この日は今日子から頼まれた企画の打ち合わせをするために、一磨と待ち合わせをしている。一磨は、翌日からお初天神通り商店街のダイニング2階でキャンドルナイトを開催することになっていて、この日は試験点灯の日ということもあって、午前中の待ち合わせになったのだ。

2階のテーブルで一磨と向かい合った杏奈は、エスプレッソを一口飲み、そのフルーティーなアロマと繊細な酸味を染み渡らせていた。前日の晩、北新地にできた新しいワインバーで今日子と遅くまで飲んでいた杏奈は、打ち合わせ中も眠気が襲ってくる。眠気覚ましにとエスプレッソを頼んだ杏奈だったが、何度も思考がぼんやりとしてくる。杏奈は小さなあくびをかみ殺したり、ときには眠気を振り払うために身体をぐーっと伸ばしたりもした。無礼なこととは思ったが、一磨にはつい気がゆるんでしまう。杏奈にとって一磨はいわば「恋愛の相談相手」で、気の置けない女友達に近い存在だった。一磨は高校時代の自分のこともまわりの人間関係のことも知っていて、何より杏奈の言うことを穏やかに聞いてくれることが、杏奈にはこの上なく楽だったのだ。

打ち合わせを終えてから、杏奈はごく自然に城井とのことを切り出した。

「あんな失礼な人、いないと思う。城井さんがベターハーフかもなんて思った自分が情けなくて」

杏奈が、城井自身のことや城井とのやりとりを矢継ぎ早に話していると、一磨が手に持っていたコーヒーカップをそっと卓上に戻して、杏奈に問いかける。

「もしかして、その城井さんっていう人、B金属の人? 」
「そうそう! え、一磨くん知り合い? 」

なぜ一磨の口から城井の名前が出てくるのか分からない杏奈が、早口で問いただすと、一磨はまたカップを持ち上げてカフェラテを一口飲んで、言葉を選びながらゆっくりと事情を話し始めた。

「この前、直樹と会って話したときに聞いたんだけど……。実は、直樹が以前、経理に異動になったのは、取引先をかばったことが原因らしい。いつも営業に行って、お世話になっている取引先が、あるとき発注ミスをしたらしくて。そのミスを直樹が全部かぶったらしい。結果として直樹の会社のミスになってしまったから、上司からはかなり怒られたというか、会社から営業マン失格の烙印をおされたというか。その取引先の担当者が……B金属の城井さん

杏奈は初めて聞く話に驚き、眠気もすっかり覚めてしまっていた。直樹と城井が実は知り合いであったことなど初耳で、想像すらしたことがなかった。もちろん直樹の異動の原因が、実は人をかばったことだったということも、直樹からは一切聞かされていなかった。

「なんで直樹が城井さんをかばうの? 自分の会社のことや自分のことじゃなく、なんで取引先の城井さんのことを? 」
「営業マンとして未熟だったときから目をかけてもらって、営業マンとして大事なことをたくさん教わったらしい。あの人のおかげで自分は成長できた、って言ってた。だから、自分にマイナスな状況が返ってくるかもしれないと分かっていても、相手のことをかばいたかった、って。少しでも恩を返したかった、って。直樹、昔からそういう男だから。ちょっと不器用だけど、いつでも相手のことばかりを考える、本当にやさしい男だから」

杏奈は高校時代の直樹とのことを思い出し、涙があふれてくる。

――そう、直樹は本当にやさしい人。誰よりも知っていたはずなのに、どうして異動の話のときも、ちゃんと聞いてあげなかったんだろう。なんで私は異動になった事実や、それをひょうひょうと話す直樹に腹を立てるばかりで、直樹の本当の気持ちを察してあげなかったんだろう――

杏奈は、城井がなぜ自分に対して冷たい態度をとったのかも察した。

――直樹の名前は出していないけれど、前の恋人が直樹だってきっと気づいたはず。だから、恩人である直樹のために、敢えて私に対して冷たいことを――

杏奈の様子を気にしながら、キャンドルナイトの設営開場での打ち合わせに向かった一磨と別れ、杏奈の足は露天神社へと向かう。通い慣れた境内をゆっくりと歩きながら、杏奈は物思いにふけっていた。

――私のベターハーフは誰? もしかして直樹だった? でも、いまさら気づいても、もう遅い――

また目の前が涙でにじみそうになった杏奈は、たくさんの絵馬の中に、見覚えのあるペンがまぎれていることに気づいた。不作法だと思ったが、ペンがくくりつけてある絵馬をかき分けて見た杏奈は、時間が止まったように感じた。名前は書いていないが、間違いなくその字は直樹のものだ。そしてそのペンは、杏奈とペアで持っていたものだった。そそっかしい直樹は何度もそのペンをなくし、そのたびに買い替えていたことを杏奈は思い出す。大切なものを何度もなくす直樹に、何度も腹を立てて注意していたことを思い返しながら、絵馬に書かれている文字を杏奈はゆっくりと読み上げた。

――大切な存在をなくしました。これ以上、大切なものは失いたくありません。だから、このペンだけはここに置いていきます――

杏奈は、「大切なもの」が自分であることを悟った。そして、このペンを持ち続けてなくしてしまうことが、杏奈との本当の別れを意味するようで、直樹が大阪を去る前に置いて行ったことも悟った。

――名古屋に転勤になったって電話くれたとき、そんなこと言ってなかったのに。私に対して想いが残っていることを言ったら、私に負担がかかると思ったから? なんでそうやって、いつも相手のことばっかり――

とめどなく涙が流れる杏奈の脳裏に、直樹の声が響いてくる。

――来週土曜には引っ越しやし。朝荷物を出して、ちょうど12時の東京行きがあるから、新幹線に乗って移動しよっかなと思ってる――

まさに名古屋に移動する日だと気づいた杏奈は、急いで時計を見る。針は11時を少し過ぎたところを指していた。今からタクシーに乗れば、新大阪駅に11時半には着けると素早く計算した杏奈は、これ以上ない勢いで大通りへと走り出してタクシーに乗り込み、「新大阪、急いでください! 」と、運転手が驚いて振り返るほどの大声で叫んだ。

――私には直樹しかいない。やっぱり、直樹しかいない。私にとってのベターハーフは直樹。今日絶対に、この想いを伝えないと――

新大阪駅に着いた杏奈は、改札近くの喫茶店へと向かった。新幹線に乗る前には、直樹が必ずここでコーヒーを飲むことを、杏奈は長年のつき合いでよく知っている。ようやく喫茶店が見えたとき、扉から見慣れた姿の男性が出てくるのを杏奈は見た。直樹だと分かった杏奈は駆け寄ろうと歩みを速める。ようやくベターハーフが直樹だと気づけた杏奈は、興奮と安堵の気持ちと、ほんの少しの緊張が入り混じって、笑いそうになったり泣きそうになったりしている。ようやくすぐ近くに来て声をかけようと口を開いた瞬間、杏奈の耳に大きな声が響いてきた。

「直樹くん! 」

声の主が誰なのかを知ろうとあたりを見回している杏奈の目に飛び込んできたのは、同級生の舞衣だった。驚いた杏奈が直樹を見ると、顔をほころばせて、片腕をひょいと挙げている。

二人のすぐ近くにいた杏奈は、反射的に柱の陰に身を隠した。高校のときから直樹のことが好きで、何かと杏奈をライバル視していた舞衣が、杏奈と直樹が別れた後、直樹と一緒にいるところを杏奈は何度か見かけていた。杏奈はショックで体から力が抜けていく。

――やっぱり、二人はつき合ってる? ――

「おー、舞衣ちゃん!」と直樹が大声で言うのを柱の陰で聞いた杏奈は、へなへなとその場に座りこんだ。スーツケースを抱えたビジネスマンや、旅行バッグを運ぶ家族連れなど、足早に通りすぎる人の波を見ながら、杏奈はその場に座り続けている。握りしめていたペンが手からゆっくりと落ちたことにも気づかないぐらい、杏奈はただただ呆然としていた。

【つづく】