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連載小説 恋はお初天神から

「ベターハーフを探して」

作者:山内早月(やまうち さつき)

<第12話> 揺らがぬ想い

目の前を大勢が通りすぎる新大阪駅構内で、杏奈は地面に転げ落ちたペンをなんとか拾い上げ、バッグの中に無造作にしまい込んだ。最近恋人になったであろう直樹と舞衣の会話を聞きたくない一心で、なんとか立ち上がろうとしている杏奈の耳に、柱の真後ろにいる舞衣の思いつめた声が聞こえてきた。

「一磨くん、私、今日はどうしても直樹くんに言いたいことがあって、来ました」

いつも自信に満ちている舞衣からは想像もできないほど弱々しい声を聞いた杏奈は、少し落ち着きを取り戻し、ようやくゆっくりと立ち上がって、聞き耳を立てる。

「直樹くんは、私の気持ちを分かってくれていると思う。だけど、それなのに私と恋人になってくれないのはどうしてなのかも、ちゃんと分かってる。ずっと直樹くんのこと見てきたから、直樹くんが誰のこと好きなのかぐらい、分かってる」
――二人はつき合ってなんかない! やっぱり直樹は私のことを――

杏奈は予想に反した事実を知り、心臓が激しく鼓動するのを感じながらも、冷静に分析する。

――でも、意地の悪い舞衣のことだから、これからきっと私の悪口でも言って、自分に気をひこうとするはず。舞衣が私のことどれだけ憎いか、痛いほど分かってるんだから――

これまで何度も舞衣からいやがらせを受けてきた杏奈は、数々の舞衣の言動を思い出し、柱の陰で苦々しげに顔をゆがめた。

「私、ずっと杏奈ちゃんがうらやましかった。私にとって杏奈ちゃんは憧れの存在だった」

舞衣の口から出た思いもよらない言葉に杏奈は驚き、ずっと地面ばかり見ていた顔をさっと上げる。

「杏奈ちゃんは美人で勉強もできて、明るくて、何もかもが平均点な私とは違う。ずっと杏奈ちゃんのことがうらやましかった。だから、高校のときに直樹くんとつき合ったのだって、仕方のないことだって分かってた。分かってたけど、辛かったしさみしかったし、たまらないぐらい苦しかった。それでヤケになって、杏奈ちゃんにいやがらせもして、それで余計に自分のことがいやになって、本当にしんどかった」

数々のいやがらせは、舞衣の気の強さからくるものだと思っていた杏奈は、舞衣の本当の心境を知って胸がちくんと痛み、思わず胸に手を当てた。

「同窓会で直樹くんと再会して、やっぱりいまでも直樹くんのこと好きだって、はっきり分かった。だから、二人が別れたって聞いて、すっごくうれしくて。だけど、直樹くんの頭には、いまも杏奈ちゃんのことしかないでしょ。それは仕方ないと思ってる。でも、私だって、直樹くんのことが好き。それも仕方ないことなんだって、どうしても言いたかった。どうしても言いたかったらから」

すっかり取り乱して一方的に話し、泣きじゃくっている舞衣の声を聞き、杏奈は決して演技ではないことを悟る。

「私、がんばるから。杏奈ちゃんみたいにはなれないけど、がんばるから。だから、直樹くんの恋人にしてください」


舞衣が決定的なセリフを言ってからの時間を、杏奈はまるで硬直したかのような状態で過ごした。それまで黙って聞いていた直樹の声が、ゆっくりと杏奈の耳に響いてくる。

「再来週、会議で大阪に帰ってくるから」
「え? 」
「だからそれまでに、どこでデートするか考えよう。せっかくの初デートやから、記念に残るとこにしよな。あ、オレ、晩ごはんは焼肉がいいな」

それが直樹の承諾のサインと知った舞衣が、言葉にならない「ありがとう」を繰り返して泣き笑いしているのを聞きながら、杏奈は呆然自失の状態で足早にその場を去った。


「お客さん、着きましたよ」

杏奈はタクシーの運転手から声をかけられて、はっと我に返る。お初天神通り商店街の目の前にいることに気づいた杏奈は、ぼんやりした状態でタクシーに乗り込み、無意識のうちにお初天神通り商店街を行き先として伝えていたことを思い出した。

「ありがとうございました。お忘れ物にお気をつけください」

運転手のごく事務的な声を聞きながら、杏奈はあてもなく歩き出す。

――私、一人で何してるの? 何がしたいの? そう、とにかく、とにかく話を聞いてほしい。誰かに話を聞いてほしい――

杏奈は、都会の草木の香りを含んだ夏の風が、ほほを柔らかくかすめたのを感じ、ふと思い出した。

――そうだ、一磨くんがキャンドルナイトの会場にいるはず――

翌日からのキャンドルナイトの会場にそっと足を踏み入れると、打ち合わせを終えたらしい一磨が一人で黙々と作業をしている。人の気配に気づいた一磨が振り返り、杏奈のただならぬ様子に気づいて大声をあげる。

「杏奈ちゃん!? 大丈夫?どうした? 」

一磨の声を聞いた杏奈はこらえていたものが溢れ出し、泣きながら直樹と舞衣のやりとりのことを伝えた。

「これから、直樹とやり直そうって思ったのに」

一通り言った杏奈は少し平静を取り戻し、バッグの中からハンカチを取り出して、涙をぬぐい始めた。


「直樹のことは、もう忘れてほしい」

いつもなら穏やかな表情を自分に向けてあいづちを打ってくれる一磨が、表情をこわばらせて大きな声を出したことに杏奈は驚く。

「一磨……くん? 」

口調の強さにたじろいだ杏奈が、おそるおそる一磨の顔をのぞき込むと、一磨は返事せず、すっと立ち上がった。

「ちょっとだけ待ってくれる? 」

一磨は部屋の照明を少し落とし、キャンドル一つ一つに点灯し始める。部屋が柔らかな灯影で包まれると、翌日のキャンドルナイト初日の打ち上げ用に置いてあった一本のワインを戸棚から取り出し、荒っぽく紙コップに注いで杏奈に差し出した。いつもの穏やかな一磨とは別人のように、その場をどんどん仕切る一磨に圧倒された杏奈はそれ以上何も言えず、紙コップにそっと口をつける。黙ったままで杏奈のことを見ようとすらしない一磨をちらりと盗み見ると、一磨が紙コップをそっと置き、ようやく口を開いた。


「友だちって、何か似るなって思ったことない? 」
「え? 」

一磨が何を話し始めたのか分からず、杏奈はただ問い返すことしかできない。

「たとえば、観に行きたい映画とか好きな食べ物とか。直樹とオレもそうで、だからいつも話が合って、一緒にいてて楽しかった。気になってた映画が始まったら直樹が誘ってくれるし、どこか食べに行くときも大体同じものが食べたくて、店選びでもめたこともなかったし」

杏奈は高校時代、二人が放課後になると楽しそうに談笑していたのを微笑ましく思い出していた。

「同じものを好きになるから一緒にいて楽。でも、たまにそれが一つしかないと困るっていうこともあった。たとえば、店に一つしか残ってない、二人とも大好物のハムサンドとか、それから……好きな女の子とか」

杏奈は、それまで居心地のいい相手として認識していなかった一磨が自分に好意を持っていたことを知り、言葉も出ない。一磨はそんな杏奈の様子を見てようやく表情を和らげ、またワインを一口含んで、静かに言葉を続けた。

「あのときは、ほんとびっくりした。直樹から杏奈ちゃんのこと好きになった、実はつき合うことになったって聞いたとき。いますぐ直樹に自分の気持ちを言っておかないと、タイミングを逃すって分かってたけど、結局言えなかった」
「なんで? どうして? 」

ようやく落ち着きを取り戻してきた杏奈が一磨に問いかけると、一磨は拳にぎゅっと力を入れた。

「オレ、卑怯やから」
「え? 」

人のいい一磨からは想像もつかない言葉を聞いた杏奈は、思わず目を見張った。

「自分が直樹にかなわないのは分かってた。負ける勝負をするのがこわかった。オレたち似た者同士とはいえ、勉強も運動もできて、社交的な直樹にはかなわないって、ずっとどこかコンプレックスを持ってて。自分の気持ちを言ったところで、杏奈ちゃんにフラれるのも分かってたし、直樹との友情がこわれるのもこわかった。逃げるという選択肢を選んだってこと」
「じゃあ、なんであれからもずっと一緒にいてくれたの? 」
「なんか、杏奈ちゃんが、見てて危なっかしかったから」
「何が? どういうこと? 」

自分が詰問調になっていることも気づかず、杏奈は矢継ぎ早に質問を繰り返した。

「杏奈ちゃんはいつも理想が高くて、何事も思い描いている通り進ませようとするところがある。それに、それができる。でもそのために、本音を隠してるときがある。いや、隠しているというか、自分でも気づいてないと思う。それが見てて、なんか危なっかしくて。直樹との恋愛も、見ててそうだった」

杏奈は一磨から指摘され、直樹と自分がいつでも「理想のカップル」と言われていたことを思い出す。その状態を守りたくて、相手に伝えたい本当の気持ちを幾度となく飲みこんで、本気のぶつかり合いを避けてきたこと、理想のカップルと言われ続けるようにふるまい続けてきたことも思い返し、杏奈は心がしめつけられそうになった。

「そう、直樹とはいつでも、うまくいっているはずなのに、なぜか一緒にいるっていう実感が薄かった。申し分ないカップルだったはずなのに」
「恋愛だけじゃなくて、いつでも杏奈ちゃんはそう。だからオレが一緒にいて、杏奈ちゃんが苦しまないように、本音を引き出してあげようと思った。できると思った。それに、そうしてきたつもり。この春に再会してからも、ずっとそばで話を聞いてあげたいと思った……って言ったらかっこいいけど、いつかオレの想いに気づいてもらえたらなっていう気持ちもあって」


杏奈は、一磨と一緒にいることがなぜ心地良かったのか、その真実を知って身体中から力が抜けた。

――そう。一磨くんと一緒にいると、本当の自分でいられるから楽だったんだ――

心が温かいものでじわじわ満たされていくのを、杏奈は感じていた。

――私にないものを補ってくれる人。見栄っ張りで自分の気持ち素直になれない私を、本当の自分でいさせてくれる人。私には……この人がいないと困る――

杏奈は思いもよらぬ真実に気づき、驚き、そして一磨に問うてみる。

「一磨くんはなんで? どうしてそんなに、私にちゃんとしてくれるの? 」
「理由なんてないよ。一緒にいたい、一緒にいなきゃいけない、って思うから。なんか、オレにとってはいなくてはならない、もう一人の……」
「……自分みたいなもの」

二人の声が重なり合い、杏奈は一磨と顔を見合わせる。


「一磨くん、知ってる? そういう"もう一人の自分"のこと、"ベターハーフ"っていうこと。ほら、そこの露天神社、実は縁結びのご利益があるらしくてね。一磨くんと久しぶりに会った同窓会の日も、実は露天神社に行って、そうやってお願いしてた。あれからもずっとベターハーフを探して、ずっとずっと探して。理想ばっかり追って、肩に力入れてばっかり。本当はあの日、きちんと出会えていたのにね。あれからもずっと、こんなに近くに、いつだって近くにいてくれてたのに。遠回りして、なにしてたんだろ」

杏奈が何を言っているのかを察した一磨の顔が、じっと自分のことを見つめているのを感じながら、杏奈はそっと続けた。

「私のこと、大切にしてくれてありがとう。私も、一磨くんと一緒にいなきゃいけないと思う。だって……」
「ベターハーフだから」

また二人の声が重なり、杏奈と一磨はゆっくりとお互いの視線を絡ませ、にこりと微笑み合った。


「一磨くん、さっきは言えなかったけど、このワイン、あんまりおいしくない」
「結構奮発したのにな。でもたしかに、ワインには詳しくないけど、なんかとげとげしいかんじかな」

杏奈のストレートな物言いをとがめることもなく、一磨がうなずきながら続ける。そんな一磨を見据えた杏奈は、とびきりの笑顔を作って一磨に言う。

「でも、大丈夫」
「え? 」

なんのことだか分からない一磨に、杏奈は一言ずつゆっくりと話し始めた。

「もっとちゃんと言うなら、いま飲んでもおいしくない、ってこと。ワインには飲みごろがあって、このワインの飲みごろはもっと先。いまはまだじっくりと育っている途中だから。時間をかけることで、できあがっていくってこと。きっと……私たちの関係みたいに」

杏奈の言葉を聞いてそっと微笑んだ一磨の顔を見て、杏奈はたまらないほど愛おしさを覚えている自分に驚く。

――私はいつも力んでばかりいた。仕事だって、それから恋だって。ずっと、かっこいい仕事がしたかった。人がうらやむような、都会的な恋愛がしたかった。それなのにまさか、一緒に飲む初めてのワインを、紙コップに注ぐ恋人だなんて。でもそれも……いいかもしれない――


杏奈はふと思いついて、一磨に言う。

「そうだ、後で露天神社に行かない? 」
「いいよ。何か願い事? 」
「ううん。これまでは願い事だったけど、今日は違う」

杏奈は、くすくす笑いながら言う。

「ベターハーフと出会えました、ありがとうございますって。堂々とそう言いに行きたい」

笑っていたはずなのに、杏奈は目元から温かいものが流れているのに気づく。うれしいような、やるせないような、切ないような、なんともいえない気持ちに包まれて、杏奈はたまらないぐらい幸せな気持ちになる。杏奈はやっと手に入れたその幸せをつかまえておきたくて、ワインをぐっと喉に流し込んだ。

【完】